『レヴェナント: 蘇えりし者』とサントラのこと。

アレハンドロ・G・イニャリトゥ(←あってる?かなw)監督の『レヴェナント:蘇えりし者』を観てきました。クマにどつき回されるレオ様、崖から落ちるレオ様、激流川下りにトライするレオ様…。

リアリズムを追及しすぎな映像にびっくりだけど、その重みが増せば増すほど生と死の境目があいまいになる。それは『バードマン』と似た感覚かも。
「主人公が生き残る」という物語りのルール、実話を基にしているって前提があったとしても、『Revenant』には、「生還者」のほかにも「亡霊」って意味もあるし。

雪山サバイバルを体験!ってよりも、人間のどうしようもなさを体験する2時間超え(笑)に大満足!

オリジナル・サウンドトラック盤「The Revenant(蘇えりし者)」

オリジナル・サウンドトラック盤「The Revenant(蘇えりし者)」

音楽は坂本龍一とドイツのエレクトロニカ・アーティスト、アルヴァ・ノト、そしてThe Nationalのギタリスト、ブライス・デスナーが担当している。3人の連名によるサントラも欲しくなった! アントニオ・サンチェスのドラムと映像を見事にリンクさせた『バードマン』のサウンドには本当に驚かされた。結局、サントラも買っちゃった(映像なしでもアンビエントとしても楽しめる!)からね。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

『レヴェナント』は、圧倒的な映像とキャストの演技に引き込まれて、音楽の印象はそれほど強くなかった。耳に残ったのはスコアではなくて、人間の息づかい、雪を踏みしめる足音、そして安らぎ(生)から絶望(死)までが目まぐるしく移ろう自然界の静寂と轟音。

出演者(と鑑賞者)のエモーションを増長するのではなく、映像と一体化したサウンドなのかもしれない。僕は熱心な教授のファンではないけれど、サントラだとどう聴こえるのかな? そして、やっぱりThe Nationalのブライス・デスナーにも期待! ブライスレディオヘッドジョニー・グリーンウッドと同じく、「クラシック」的なアプローチで映画音楽や弦楽四重奏楽団 クロノス・カルテットとのコラボなど、どんどん活躍の場を広げているからね。ジョニーとこんなアルバムも出しています。

Bryce Dessner: St. Carolyn By The Sea / Jonny Greenwood: Suite From

Bryce Dessner: St. Carolyn By The Sea / Jonny Greenwood: Suite From "There Will Be Blood"

僕みたいなインディー・ロックのファンでも、こんなふうに未知の音楽に触れるきっかけができるのは素敵なこと。サントラは、その入り口にぴったりだと思う。

James『Girl At The End Of The World』

Girl at the End of the World

Girl at the End of the World

ジェイムスのこの新譜が初登場2位(3/25付 Official Charts)に飛び込んでくるUKチャートはやっぱりおもしろい。


ブライアン・イーノに一目置かれながらも、解散〜再結成といろいろあったバンドだけど、近年はコンスタントに良作をリリースし続けてる。このアルバムも素敵だよ! フジロックに出て欲しいな。


ちなみにイーノは「Nothing But Love」(名曲!)のみにシンセサイザーで参加してます。

『ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、そしてぼく』


ニュー・オーダージョイ・ディヴィジョン、そしてぼく』を読んだ。
まずはじめに「いいな」と思ったのは、主語の訳し方。本書の原題『Chapter and Verse - New Order, Joy Division and Me』の〝Me〟が〝ぼく〟で、本文では主語を〝私〟としている。〝ぼく〟と〝私〟の違い。それは日本語に訳されてこそ味わえる微妙なニュアンスだから。

どこかピーター・サヴィルのデザインを思わせるシンプルなタイポグラフィがあしらわれた表紙は、(本書を手に取るであろう)ニュー・オーダーのファンを安心させるはず。そして、バーナード・サムナーというよりも〝バーニー〟として親しまれている彼のどこかチャーミングなイメージにも〝ぼく〟という言葉がぴったりだ。
表紙をめくってみると、少年時代からジョイ・ディヴィジョン、現在のニュー・オーダーまでを冷静に、ときにユーモアを交えるその語り口調にはやっぱり〝私〟がふさわしいと思えてくる。僕たちが今まであまり知る機会のなかったバーニーの内面には、〝バーナード・サムナー〟というひとりの大人のミュージシャンが存在していることがわかる。

いちばん大きいのは、もちろん音楽そのものだろう。人々はそこに、とても深いレベルで自分の人生に通じるものを見出す。私たちの音楽がどれほど意味を持つものか、人が話すのを聞くたびに私はいつも謙虚にならざるをえない。(P.9)

〝私〟という一人称で語られるそのストーリーは、ときに僕たちの想像を超え、イメージをくつがえし、また、僕たち自身が持つニュー・オーダージョイ・ディヴィジョンの音楽との思い出とも重なり合うだろう。


ジョイ・ディヴィジョンイアン・カーティスの自殺という事実によって、重く、そして時を経るにつれ、どこか神聖なイメージすらをも持たれることが多い。けれども本書で語られるバーニーの少年時代の思い出からは、その音楽が生まれた(生まれざるをえなかった)当時の背景を見ることができる。
1960年代のマンチェスター、サルフォード。幸福とは言い難い労働者階級の家庭環境とゆるやかに荒廃の道を辿る地域のコミュニティ。そこで出会ったピーター・フックとスティーブン・モリス、そしてイアン・カーティスという少年たち。ワルシャワと名乗っていた彼らがジョイ・ディヴィジョンとして歩み出し描いた、荒涼とした風景と逃れようのない孤独。それは(もちろんイアンの役割が大きかったとしても)あの4人が、あの時代に、あの場所でひたむきに生きていたからこそ、鳴らされた音楽だったということ。
その描写は、ディケンズよりもアラン・シリトー(『長距離走者の孤独』『土曜の夜と日曜の朝』)やグレアム・グリーン(『ブライトン・ロック』)を思わせる。鉛色の曇り空と工業地帯特有の煤けた空気、そしてどん詰まりの日常。

〝No Future〟 そう叫んだセックス・ピストルズこそが未来への啓示であり、やがて、何かに呼び寄せられるかのように、トニー・ウィルソン、ロブ・グレットン、マーティン・ハネット、そしてピーター・サヴィルが集まった。

けれども、その先(未来)にまでイアンが一緒に辿り着けなかったことが切なく、イアンの喪失こそが彼らの歩みを進めるきっかけになったことは残酷な皮肉だ。

彼は強烈に引き裂かれていた。本当に求めていたもの、まさにそれが手に入ろうとした瞬間に、そもそも自分がそれを求めていたのかどうかがわからなくなっていたのだ。(P.123)


ニュー・オーダーとしての再起、ハシエンダの運営、そしてマッドチェスターの勃興と衰退。ニュー・オーダーの歴史の陰に隠れがちなエレクトロニック(ジョニー・マーとの思い出)にも多くのページが割かれていることもうれしい。ジョニー・マーとのきずながこんなにも深いなんて!


そして、本書と同時に国内でリリースされたニュー・オーダーの最新作『Music Complete』には、周知のとおりピーター・フックが参加していない。その確執を語るバーニーの言葉には、ファンとして複雑な思いにさせられる。

トニー・ウィルソンの『24アワー・パーティ・ピープル』、ピーター・フックの『ハシエンダ』(←フッキーの言い分も聞こう!)、そして本書。これでジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダー、ファクトリー・レコードとハシエンダというUKロックを担う重要なストーリーを日本語で詳しく知ることができる。
「いちばん大きいのは、もちろん音楽そのもの」。確かにそうかもしれない。それでもパンクからポスト・パンク、さらに現在にまで通じるムーヴメントをポップ・カルチャーという流れの中で知る/見直すのはとても楽しくて、大事なこと。
それはスピリットの具現化であり、僕たちひとりひとりが〝どう生きるか? どう楽しむか?〟という道しるべにもなりうるからだ。僕は本書(と上記2冊)をそんなふうに読んだ。

これは、本当に生きるということはなんなのかを探る本だ。体制の外側で動き、体制を倒すこと。災難を生き抜くこと。子供の頃価値を見出したものを手放さないこと。(P.343)

ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、 そしてぼく (ele-king books)

ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、 そしてぼく (ele-king books)

24アワー・パーティ・ピープル

24アワー・パーティ・ピープル

ハシエンダ マンチェスター・ムーヴメントの裏側

ハシエンダ マンチェスター・ムーヴメントの裏側

あ! The Other Twoを忘れちゃいけない。ふたりが記したヒストリーをいつか読める日が来ますように(笑)。

ベックが表紙のビッグイシュー Vol.272


ビッグイシューの最新号はベックが表紙。
16歳の自分と今の自分を見つめ直すインタヴューが感動的でした。
どこにも居場所がなくて図書館に通ってたこと。そこが火事になったときは泣いたこと。もしもあの頃の自分と話ができるなら…。
『Morning Phase』聴きながら読んでます。


「あの時、僕はああだった」

映画『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』


ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックが脚本/音楽/監督を手がけた『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を新宿シネマカリテで観ました。めちゃくちゃ感動した!

『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』は、長年スチュアートが温めていたストーリー。09年にはサウンドトラックとも、ベルセバのオリジナル作品ともひと味違う“プロジェクト”として、ラフ・トレードからアルバム(メイン・シンガーはキャサリン・アイアトン)が発表されている。

その頃から「いずれ映画化するから…!」というスチュアートの思いは僕たちにも伝わってきていたけれど、実現までに結構時間がかかった(笑)。でも、待った甲斐があったね! 昨年の欧米での公開を経て、こうして映画の中のシーンそのままに”夏休み”に観られることは素敵なことだから。


ラフトレ盤『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』と前後するように、スチュアートはかなり長めのシナリオを完成させていた。そして、「さて、どうしたものやら…」と思案しているときに、アメリカ人映画プロデューサー、バリー・メンデルから1通のメールが。メンデル氏は『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』のシンガーを公募していたサイトを見て、自ら映画化に助け舟を出したそうです。


彼は『シックス・センス』や『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』などをプロデュースした経歴を持つれっきとした映画業界人で、しかもベルセバの大ファン。けれども “シナリオ”を一読したメンデル氏は「こりゃあ、先が長いな」と。すっかり完成していた気になっていたスチュアートに容赦なくダメ出しを連発して、ストーリーを磨き上げたそう。時間がかかったのもしょうがない。その時のアドバイスは「正直なままで、小さいままで」だったとのこと(国内盤OSTブックレットより)。いい話!納得した!

『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を観て、まず最初に僕が感じたことは「正直な映画だな」ってことだった。ポップ・ミュージック、女の子と男の子、そして不安定なこころと身体。スチュアートがよく知っていて、ずっと考えていたことだけを描いている。だから、とてもリアルで、とびきりファンタジー。どっちにも転びすぎない絶妙なバランスは、ミュージカルという手法が(文字どおり)功を奏してると思う。


ストーリーのテンポやセリフの間合いも決してダレることがない。だから、僕たちはイヴ(エミリー・ブラウニング)とジェームズ(オリー・アレクサンデル)とキャシー(ハンナ・マリー)のおしゃべりやお洒落なファッション、そして歌とダンスから目を離すことができなくなる。

1つ1つのシーンがまるでポップ・ミュージックが生まれる瞬間のよう。それは魔法でも何でもなく、こんなにも切実で、楽しさと引きかえにとても儚い。病院を脱走して、仲間と出会い、自分のうたを歌い始めたイヴは言う。
「神様なんて信じない。キリストが男ってこと以外はねw」
(何度も病院に連れ戻されながらも)どんどんかわいくなって、強くなってゆく彼女にとっての“God”は音楽そのものなのかもしれない。

God Help the Girl

God Help the Girl

ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール オリジナル・サウンドトラック

ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール オリジナル・サウンドトラック

ちなみに「いい人≒優柔不断」なジェームズを演じたメガネ男子、若手有望俳優のオリー・アレクサンデルはYears & Yearsのリード・ヴォーカリストでもある。なんと、シングル「King」はUKチャートNo.1を獲得。さらに! 1stアルバム『Communion』までもNo.1に。映画とは真逆な超イケメンライフを謳歌してそうなオリーとYears & Yearsにも注目ってことで!

COMMUNION / DELUXE EDIT.

COMMUNION / DELUXE EDIT.

ヒュー・コーンウェル @ 吉祥寺CLUB SEATA 2015.05.05.


2008年3月にはジャン・ジャック・バーネルのソロ・アコースティック・ライヴを新宿Loftで観ることができたけど、「ヒューのライヴは…もう無理かも」って諦めかけた矢先に届いた来日決定の知らせ。本来は2月に行われるはずだったこのライヴも5月に延期されて、(不安で)ドキドキさせられたり。でも、こうして無事に実現して本当に良かった!


ジャン・ジャックのアコースティック・ライヴも忘れられないほど素晴らしかった。その時の前座はブラッドサースティ・ブッチャーズの吉村さん。色んなエフェクトを駆使してエレクトリック・ギター1本で〝あの歌声〟を聴けたことは、今となってはとても貴重な体験だったと思う。そして、いつものベースからガット・ギターに持ち替えたJJのテクニックにもびっくり。キーボードのないストラングラーズの曲が、こんなにも違和感なく、しかもこんなにカッコいいなんて! 心残りは、そこにヒューがいなかったこと。そして、ジャン・ジャックとヒューが並ぶストラングラーズはもう永遠に観ることができないと実感してしまったこと。


ヒューとジャン・ジャックがそれぞれの道を歩み始めてからも、もう20年以上になるのか…。ようやく観ることができるヒューのライヴを前にちょっと複雑な気持ちになったのも事実。でも、ストラングラーズの曲を期待しないほうが無理でしょ。何しろ36年(!)ぶりの来日だとか。

会場となった吉祥寺CLUB SEATAはミニ・サイズのZeppみたい。開演30分くらい前から徐々にファンが集まり始める。見渡せばやっぱり…40代〜50代の男性が多い。中には60代のリアルタイム・パンクと思しき気合いの入ったオジサマも。ストラングラーズTシャツ、フレッドペリー、そして往年のヒューのスタイルに倣った黒づくめ…、ばっちりキメたセンパイたちが熱い。スペシャルズやトム・ロビンソン・バンドがSEとして流れるフロアでは、そんなオールド・パンクスが再会しているちょっと微笑ましい場面も垣間見えたり。


そして開演時間の19時ほぼぴったりにステージを覆っていた暗幕が開くと、ファンにはお馴染みの黒いテレキャスターを構えたヒュー・コーンウェルがマイク・スタンドの前に立っていた。黒いポロシャツに黒のスラックス。「もっとオシャレしてよ!」とも思ったけれど、鋭い眼光はストラングラーズ時代のままだ。何度もビデオやYoutubeで見たあの冷徹な眼差し。
「今夜は、新しいアルバムの曲といくつかのストラングラーズの曲をプレイするよ。楽しんで欲しい」
そっけないけれども、今夜がスペシャルなライヴになることを予感させるひとことで、待ちに待ったライヴが始まった。


オープニングは、13年にリリースされた(現時点での)最新作『Totem And Taboo』と同じく、タイトル・ソング「Totem And Taboo」だ。軽快なバス・ドラムのビートに乗って、ヒューの乾いたギター・カッティングがフロアに響く。ベースはアルバムのレコーディングにも参加しているスティーヴ・フィッシュマン、そしてドラムはパワー・ポップの雄、(なんと!)ポウジーズのダリウスだ。
3人が繰り出すサウンドは、パンクというよりもパブ・ロック/ガレージ・バンドみたい。決してレイド・バックしているわけではなく、ソリッド。低めのヒューのヴォーカルもしっかり聴こえる。そして、何よりも3人の呼吸がぴったり合っている。今夜のライヴへの期待がいっそう高まったことは言うまでもない。

2曲めには早くもストラングラーズの名曲「Skin Deep」をプレイ。「上っ面に騙されるな」。一気にヒート・アップするフロアを静かに見渡しながらテレキャスをかき鳴らすヒュー。時おりマイク・スタンドから離れてギター・プレイに集中する姿がやたらカッコいい。そして、気づいた。デイヴ・グリーンフィールドのキーボードが脳内で再生されているんじゃなくて、鍵盤パートをヒューが弾いているってことに。今のヒューのソロ作で鳴らされているサウンド、そしてストラングラーズの曲を(懐メロではなく)アップデートするには、この3ピースの編成がぴったりなのだろう。メロディをしっかりと。でもちょっぴりラフなギター・アレンジが良い。
バンドは次の曲を始めるためにアイ・コンタクトを取っている。ダリウスのカウントに合わせて『Totem And Taboo』の中でもいちばんポップな「Stuck In Daily Mail Land」がプレイされた。ヒューの喉も調子が出てきたようだ。ソロの曲でもフロアの反応は悪くない。むしろ熱気は増している。

そして4曲めはストラングラーズの代表作であり、〝パンクそのもの〟の代表作でもある『No More Heroes』から「Dagenham Dave」(モリッシーのアレとは同名異曲ね)が放たれる。これは本当にうれしい驚き! だって、オリジナルはジャン・ジャックが歌っていた曲だから。先述のJJのソロ・ライヴでも当時のエピソードを語ったあとでアコースティック・ヴァージョンが披露されていた。ジャン・ジャックとヒュー、それぞれのヴァージョンを聴けるなんて!
そこで、ようやくハタと気づいた。今夜はソロとストラングラーズの曲を交互にプレイするんだな。フロアのファンもそのことに気づいたらしく、ざわつき始めた。アンコールに〝とっておき〟のストラングラーズ、ではなく、〝まんべんなく〟ストラングラーズってこと。「ソロを聴け!」というエゴを抑えて、ファンの(正直な)気持ちをお見通しのヒューはやっぱりクレバーだと思う。


正直に言えば、僕も最近のヒューのソロをちゃんと聴いていなかった。けれども、終演後に物販で迷わずCDを購入。2,000円でほぼ自主制作。かつてのパンク・ヒーローにしてはあまりにも切ないリリース状況だけど、こんな最高なライヴを観たらアルバムを買わずにいられないと思う。実際、そんなファンがたくさんいた。「ストラングラーズの曲が目当てだったけれど、ソロも良いじゃん!」って、きっとヒューの目論みどおり。そして、アルバムを聴くたびにこうしてライヴの熱気がよみがえるんだ。
ヒューのカリカリに乾いたテレキャスの響きとソリッドなバンド・サウンド。ダークだけど、ポップなメロディ。この『Totem And Taboo』の〝Recorded & Mixed〟を担当したのはスティーヴ・アルビニ(!)。ヒューとの相性は最強。ニルヴァーナ『In Utero』や初期のピクシーズ、最近だとクラウド・ナッシングスでのアルビニ・ワークスにグッときた人には、このアルバムもおすすめ!

Totem & Taboo

Totem & Taboo

閑話休題。ダリウスのドラムはジェット・ブラックよりも太くてヘヴィ。けれどもビートは軽快だ。さすがポウジーズ! パワーなポップのツボを押さえてる! おかず少なめなアレンジはジェット・ブラックへのリスペクトかな。スティーヴの野太いベースに絡み合う低音とドライなヒューのプレイ・スタイルとのコントラストが最高にクールだ。僕が観たクリブスアークティック・モンキーズにもまったく引けを取らないサウンド。もっと若い人にも知って、聴いて、観てもらいたい。


「Strange Little Girl」の詩情、「Duchess」のポップさ、そして「Nice 'N' Sleazy」のオリジナル・パンクスならではのタフさ。次々と出し惜しみなく繰り出されるストラングラーズの曲に、みんながシングアロングとハンド・クラップでしっかりと応える。そして、織り交ぜられるソロの曲もカッコいい。だからこそ、バンドも僕たちも楽しめるんだ。ラストは「Always The Sun」かな? と期待していたら、全力の「No More Heroes」でした。ようやく、この歌の意味がしっかり伝わる歳になったよ。(残念な皮肉だけど)今の日本にもぴったりな曲だ!
スペシャルなライヴをありがとう! 次は…30年以上も待たせないでね。

〈Hugh Cornwell @ 吉祥寺CLUB SEATA 2015.05.05.:セットリスト〉
1. TOTEM AND TABOO
2. SKIN DEEP
3. STUCK IN DAILY MAIL LAND
4. DAGENHAM DAVE
5. I WANT ONE OF THOSE
6. DUCHESS
7. BEAT OF MY HEART
8. STRANGE LITTLE GIRL
9. GOD IS A WOMAN
10. PEACHES
11. GODS GUNS AND GAYS
12. (GET A) GLIP (ON YOURSELF)
13. A STREET CALLED CARROLL
14. STRAIGHTEN OUT
アンコール
15. IN THE DEAD OF NIGHT
16. NICE 'N' SLEAZY
17. NO MORE HEROS

My Best 10 Movies Of 2014

まったく! 確かに『アナ雪』にはグッときたけどね(DVD持ってる)。どいつもこいつも「レリゴー!レリゴー!」うるさいわ! 他にも素敵な映画がたくさんあった1年でした。ということで、2014年に僕が映画館で観た映画のBest10です。まずは10位〜5位。


10. 『her/世界でひとつの彼女』(監督:スパイク・ジョーンズ
ホアキン・フェニックスのしょんぼりな演技とスカーレット・ヨハンソンの声、そしてピンクを基調としたヴィジュアルに釘付けになりました。特に人口知能のサマンサ(スカヨハ)のクスクス笑いがエロくて、切なくって…。でも、途中から「新しいOS」のCMを観てるような気分になってしまったのも正直なところ。演技、映像、音楽、どれをとってもソツなく仕上がりすぎているからかも。さて。10年後、20年後にこれを観たらどんな気分になるのかな?


9. 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(監督:ジェームズ・ガン
まったく知らなかったマーベルの宇宙ヒーローの活躍に大興奮! ミックス・テープ(カセット!)のクオリティに涙。ディズニー配給ってことで「レリゴー」よりも「ウガチャカ!」でグッとくる困った人たちも続出したとか。ジョン・C・ライリーベニチオ・デル・トロの愉快な演技も最高でした。続編に期待!


8. 『ジャージー・ボーイズ』(監督:クリント・イーストウッド
イーストウッド監督、やっぱすげえな!」と絶賛しつつも、原作はブロードウェイのミュージカルだったんだね。だからキャストの安定感は抜群だったわけか、と。そこにイーストウッド監督の演出が加われば、最高に決まってんじゃん! バンドをやってる(やったことがある)人なら、なおさらグッとくるはず。フォー・シーズンズもクールでドジなチンピラだったなんてね。エンディングまで目と耳が離せなかったよ。トミーのバカ野郎!


7. 『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(監督:アレクサンダー・ペイン
観終わったあとは、国内での「親子のふれあい」的な宣伝に違和感。決してこの映画の内容が悪いわけではなく、もっとヘヴィなテーマだということ。逆に、そこを重苦しく描いていない点が『ネブラスカ』の素敵なところ。失望(絶望ではない)を希望にすり替えて旅に出る父親は“老いアメリカ”、世間への疎外感を持ちながら孤独な毎日を送る息子は“今のアメリカ”を象徴しているのかな。そして、それは日本に暮らす僕たちにも遠い話ではないはず。ロード・ムーヴィーの新しい傑作。しょぼさが今っぽい。


6. 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(監督:コーエン兄弟
Aメロ〜Bメロ〜Aメロ(リピート)…。同じメロディを何度も繰り返す拙いフォーク・ソングのような日常。ひとりの男の中の歌が、はからずも次世代とリンクする瞬間の静けさが切なく、熱い。60年代グリニッジ・ヴィレッジのこともデイヴ・ヴァン・ロンクのことも知らなくても大丈夫。でもね…、ボブ・ディランのことをまったく知らないと、ちょっとキツいかもしれない。ディランという主人公はそこにはいない、もうひとつの『アイム・ノット・ゼア』だと思う。


ほらね!「レリゴー」以外にも素晴らしい音楽がフィーチャーされた映画だらけでしょ。
そして、今回惜しくもBest10に入らなかった作品もたくさんあります。『ゴジラ』は頑張ったけど渡辺謙が嫌い。『キック・アスジャスティス・フォーエバー』は、設定が一気にしょぼくなりました。続編にありがち。『ゼロ・グラビティ』は宇宙の彼方へ飛んで行け。そして、最大のガッカリ賞はジム・ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に決定! ストーリーのキレのなさが心配です。単純に超つまんなかった。では、5位〜1位です。よろしく!


5. 『ゴーン・ガール』(監督:デヴィッド・フィンチャー「怖いのやだな〜」と思いながら、なぜか観てしまう『セブン後遺症』。久々に「恐ろしいフィンチャーきたっ!」って思ったけど、観て正解でした。「奥様はガールかよ!」ってツッコミはさておき、ゴーンっぷりがハンパないっす。 気の弱いスプリングスティーンみたいな(笑)ベン・アフレックのおどおど感がお見事。そして、嫁の大暴走にはシアターが笑いに包まれるほど。僕もダメ男として生きる道を考えさせられました。ジワジワ、チクチク刺さるトレント・レズナーアッティカ・ロスのスコアも最高!


4. 『グランド・ブダペスト・ホテル』(監督:ウェス・アンダーソンまったく豪華なホテルだぜ! ウィレム・デフォーハーヴェイ・カイテルビル・マーレイエドワード・ノートンジュード・ロウなどなど、観る前からワクワクしちゃう名前がずらり。で、やっぱり面白かった!現在と過去が交錯する群像劇にはホテルがうってつけ。二転三転する(笑える)ミステリー仕掛けのストーリーと圧倒的な映像へのこだわり。そして変わらぬ“(不完全な)家族”というテーマにもグッときた。スキーで滑走するシーンは2014年のハイライトかも。同時代にいることを幸せに思います。


3. 『ぼくを探しに』(監督:シルヴァン・ショメこの作品は、まったくノー・マークでした。時間ができた時にフラッと入った映画館でこんなに感動するなんてね。自己啓発っぽい邦題がアレだけど、よしとします。原題は『ATTILA MARCEL(アッティラ・マルセル)』で、主人公の父親の名前。この親父がプロレスラーで、その息子がトラウマを抱えて生きるというお話。フランスにプロレスがあるのも驚きだけど、この映画のクオリティときたら! ザ・フー『TOMMY』と『アメリ』が合体したかのよう。そして、軽〜くアシッドなテイスト(笑)が入るのも素敵。セリフと配役が完璧でした。ホントに最高!


2. 『6才のボクが、大人になるまで。』(監督:リチャード・リンクレイター「えぇっと、これは僕のことですね(涙)。 以上」で、終わりにしたいくらい。オープニングのコールドプレイ「YELLOW」が流れた瞬間から涙、涙。僕の両親が離婚したのもほぼ同じ頃だし、姉がいるのもいっしょ。ってことで、極度に感情移入してしまいもう無理。引っ越したこと、誕生日の微妙な感じ、進学…、あれこれがフラッシュバックしすぎてもう無理。後日、母親にこの映画の話をしたら「あんたたちのためにやってきたのよ! 感謝して欲しいわ!」と劇中のパトリシア・アークエットと同じセリフが飛んで来て、完全にノックアウトされました。新たなトラウマ映画の誕生です。説明過多でダサい邦題だけがとても残念。原題は『Boyhood』つまり少年期。それは主人公のメイソンJr.(ボク:カタカナもダサいわ)のことだけではなくて、家族やまわりのみんなが共有した「時間」のことだと思う。舞台は家庭で、それぞれの12年という時の流れが主役なのだ。


1. 『嗤う分身』(監督:リチャード・アイオアディ)今年いちばんの衝撃! 詳しくはクッキーシーンのレヴューにも書いたけれど、ロシアのドストエフスキー原作(二重人格)、イギリス人の監督、アメリカ人のキャスト、そして…日本の音楽(しかも60年代の昭和歌謡)というカオスなハイブリッドには本当に驚かされた。自分の分身がある日突然あらわれるというストーリーをシュールでも、ホラーでも、サスペンスでもなくリアルに描いていることに引き込まれた。国籍不明の舞台設定、時間軸が歪んだ日常の風景。その完全なファンタジーの世界は、現実味を失えば失うほどリアルさが増すというパラドックス。まるで自分の頭の中のよう。『6才のボク』とは正反対に邦題のセンスも最高!


以上です!
観たかったのに観れなかったのは『フランク』(今すぐ観たい!)、 『インターステラー』(まあまあ観たい)、『トム・アット・ザ・ファーム』(トム、大丈夫か!)、『誰よりも狙われた男』(フィリップ・シーモア・ホフマン:涙)。今年もやっぱり“家族”のストーリーに泣かされっぱなしでした。最後は「レリゴー」よりも「イエロー」ってことで。

皆さん、良いお年をお迎えください。来年もクッキーシーン共々よろしくお願いします! ありがとうございました。
犬飼一郎