U2 “FLASHBACKS 4 SONGS OF INNOCENCE” (日本語訳)

U2がフリー・ダウンロードでリリースしたニュー・アルバム『SONGS OF INNOCENCE』のデジタル・ブックレットから(署名はないけれど)ボノが書いた“FLASHBACKS 4 SONGS OF INNOCENCE”と名付けられたエッセイを翻訳してみました。
ラモーンズ、クラッシュ、ルー・リード、そしてディランとブライアン・ウィルソンの名前も出てきます。U2結成当時のダブリンでの思い出。『SONGS OF INNOCENCE』を楽しむちょっとした手がかりになれば良いなと思います。ただし、5億人限定で(笑)。

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FLASHBACKS 4 SONGS OF INNOCENCE
1977年のいつだったか、U2は一緒に音楽をつくり始めた。僕たちはザ・ハイプと名乗ってた。パンク・ロック・シーンに夢中だったけれど、駆け出しの頃のライヴで誰かがこう叫んだのを覚えてる。「もっとパンクにやれよ、モンキーズ!」。奴らの言うとおりだった…。僕はとんがったロック・シンガーやパンクのシンガーみたいには歌えなかったから。僕の歌い方は女の子みたいだった。それがしっくり来てなかったんだけど、それもラモーンズに出会うまでのこと。他の誰にとってもそうだったように。だって、ジョーイ・ラモーンは女の子みたいに歌ってたから。ジョーイはすべての素敵なセイレーンを愛していた…。きみにもモータウンダスティ・スプリングフィールド、ロニー・スペクターが聴こえるはず。きみの心の痛みがジョーイの歌声の中にこだまするのが聴こえるはずだよ。それがジョーイを信じられる理由、ノイズの海で未来へサーフィンするってことさ。


U2の4人で、ラモーンズがダブリンのステイト・シネマでプレイするのを観に行ったんだ。どうやって中に入るかなんて、ろくに考えもせずにね。僕たちはチケットもお金も持ってなかったんだけど…。チケットを持ってた親友のグッギが会場の出口をこじ開けて、僕たちをこっそり中に入れてくれた。そして、世界は時の流れを止めてくれた。僕たちが忍び込むのには充分なほどにね。結局、僕たちは半分しかライヴを観れなかったけれど、僕たちの人生にとっては最高の夜のひとつになったよ。エッジは最初の彼女、エイスリンと外で出会ったことを覚えてるって。ラモーンズのライヴのあと、僕は自分なりのやり方でシンガーになろうと思った。僕には気づきが必要だったんだ…解放してくれる誰かが。


初めての旅は爽快だった。地理的にも、精神的にも、性的にもね。蘭の花やフリーウェイや逃亡中のロックンロール・バンドを初めて目撃する、それは皮膚の下にタトゥを入れられるようなものだよ。永遠に消えはしない。U2にとってはロサンゼルスに行ったことが、まさにそれ。LAはダブリンと正反対で、僕たちはその極端さが大好きだった。エッジとアダムとラリーと僕はカリフォルニアで飛行機を降りて、“これは映画よりもすごい!”って感じでお互いに目を合わせてたことを覚えてる…。まだ空港の中だったのにね! そして、ボブ・ディランの住処を探す巡礼の旅に出た。だって、僕はディランの歌をずっと握りしめてきたから。どんなスーツケースを握りしめる時よりも強く。同じようにブライアン・ウィルソンの住処も探した。彼の家の砂場の中には、ピアノがあるらしいってことになっていたけれど…。僕はビーチ・ボーイズが大好きだった。彼らが与えてくれたんだ。身体に染み込むリズム、心に響くメロディ、心を揺さぶるハーモニーとかをね。ブライアンも女の子みたいに歌ってた。もっと初めての旅って言うと…セックスかな…。自分自身の経験を書くには、注意を払うこと。このテーマを扱う時は、必ず、もっと一生懸命、挑戦すること。


クラッシュが最初のツアーのためにダブリンのトリニティ・カレッジに来たことが、僕とエッジとアダムとラリーの経験値を一変する指標になった。僕たちはその夜、ノイズとアイデアのライオットに精も根も尽き果てて帰宅した。僕たちがちっとも眠れなかった理由は、間違ったベッドで眠ろうとしていたことに気づいてしまったから。僕たちはもう精神的に、霊的にどこかへ移動してしまっていた。ジョー・ストラマーは戦士。ジョーのギターは武器で、言葉は無敵だった。僕たちにはクラッシュが何と戦っているのか/何に反抗しているのかよく分からなかったけれど、魂(ソウル)の代わりにギターで鳴らされる公共広告だと思った。僕たちはそれと契約を結んだんだ。


僕が育った場所はシダーウッド・ロード。素敵な家族がたくさん住んでる良い街だ。僕の世界観を形作ってくれた人たちがいる。今でも気にかけて、愛し続けている。そう、ギャヴィン・フライデーは坂の上に住んでいた。でも、そこは僕たちが十代だった頃、暴力に満ちた場所だった。スキンヘッズ、ブート・ボーイズ、ブレイズ、そしてナックルダスターズとか。ティーンエイジャーのパーティには、そんな奴らがハンマーとかノコギリを振り回しながらやって来た。たくさんの“隠れ家(Hidings)”を覚えてる。そこを貸したり、貸してもらったりした。そのどれもがドアの裏側での暴力とは比べ物にはならないくらい大事だった。夫が妻に暴力を振るう。そして、クソみたいな父親が子供たちに。シダーウッド・ロードには暗く、隠された一面がある。他のどの街とも同じように。そして、すべての人々と同じように。


5番のローウェン家には桜の木があって、僕にとっては、それが世界でいちばん贅沢なものだった。その一家は旧約聖書派みたいで、僕にいろいろなことを教えてくれた。奥深く、意義深い聖書からの引用句。そこで僕は、恐ろしく黒い聖書を広げる素晴らしい牧師たちに出会った。彼らと僕たちにとっては、神が踊るための言葉だ。時々、僕は他のやり方があるんじゃないかと考えるようになった。1分間それを読む。すると、次の瞬間にはそこに入り込む。ルー・リード(神様、彼の魂に安らぎを。)は「切り抜けて行くには、バスいっぱいの信念が要る」って言っていた。そのバスはローウェンでの出来事でいっぱいで、僕はそれに乗り込むことにした。


うちの庭の裏の向こうには野原が広がっていた。僕たちはよくそこで郊外にまで広がる足場に上って遊んだりした。1マイル離れたところに7つの塔を建設している工事現場があったんだ。遊びに行こうと思ったら、塔は建設に反対する人たちでいっぱいで、すべての塔のてっぺんにまで人があふれていた。だから、僕たちは草原の途中で走るのをやめたんだ。でなけりゃ、僕たちが追いかけ回されていたかもね(笑)。夢はいつだって安全だとは限らない。安全だって信じ込めるような場所でもない。残酷な虐待があっても生き抜く人たちがいる。ある人たちにとっては、そうしなくちゃならないからだ。教会の信者たちが暴力によって奴隷にされていないとき、また一緒にやり直すためには特別な償いが必要とされている。正直さが、出発地点だ。秘密がきみを病ませてしまうから。


70年代のアイルランドは辛すぎた。1974年、毎週金曜日の5時半になると僕はタルボット・ストリートにあるレコード・ショップに入り浸っていた。5月17日、バイクで学校に通っていた僕はその日、アイルランドを分割する歴史の中で最も血なまぐさい瞬間をかわすことができた。ダブリンのシティ・センターを爆破するために、3台の自動車が同時に爆発する爆弾が仕掛けられていたんだ。僕の古くからの友達 アンディ・ローウェン(べとべとパンツのデラニーって僕たちは呼んでた)は、父親がストリートの向こう側でゴミくずみたいになっている被害者を助けている間、ずっとバンに閉じ込められていた。その光景は、アンディに取り憑いて離れようとしない。彼はそれを何とかしようとして、世界でいちばんの鎮痛剤にはまっちまった。僕たちは彼のことを歌にしたんだ。それが「BAD」だ。アンディは言う。「ヘロインこそ、世界で最高の痛み止めだ。それに殺されなければね」って。彼はサヴァイヴしたんだ。僕のヒーローだよ。


僕の母はその年に亡くなった。祖父もだ…。母の父親は葬儀のとき、アイリスの花を墓のまわりに供えていたけれど、その2、3日後に彼も逝ってしまった。…美しいアイリスの花。母の巻き毛のように黒いユーモア。それは現実的な魔法のよう。死に対して…僕たちは亡霊の顔が見えるまで色々な方法を探したりする。見つめ続けるだけの試合。それは常に死が勝利をおさめ、僕たちは身近な誰かを失ったまま、損なわれ続けている。僕はアイリスを借りて、音楽で、母の不在を埋め合わせようとした。悲しみのあとに、怒りがやって来た…。そうできるなら、ドロドロの溶岩を岩に変えてみせる…。でも、腹の中で燃えさかるこの類いの炎はそう長続きしなかった。もしもラッキーなら、炎はやがて燃え尽きるだろう。きみを燃やし尽くす前に。


14歳のとき、僕はアリに出会った。ずっと前から彼女のことは知っていたけど。彼女は僕のデートの誘いにOKしてくれたんだ。それは僕がU2を結成したのと同じ月だった。ダブリンの北海岸には、すべての素晴らしい美と同じくらい不可知な砂丘がある。それは海辺の街の本来の姿で、冬になるとさらに素晴らしいんだ。若い男が夏の犯行現場に彼女を連れて(再び)そこを訪れたとき…、2人のどちらかがもっと賢明になれたのかもしれない。でも、そんな時間も(賢明さも)なかった。歌を書くのなら、賢明すぎないように。それは失恋と同じくらい良いこと。そして、完全であるよりもロマンチックだ。僕たちは人生の結末を見つけようと毎日を過ごしている。それが見つからないと失望というカタチで世界を動かしたり、そうでもなかったり。悲しみに終わりはなくて…、だからこそ、僕はこんなふうに愛にも終わりがないことを知ることができたんだ。

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「BAD」

文中にはいくつかのキーワードが隠されています。「ギターで鳴らされる公共広告(a public service announcement with guitars)」は、クラッシュの「Know Your Rights」(『Combat Rock収録)から。

そして、「切り抜けて行くには、バスいっぱいの信念が要る(You need a busload of faith to get by)」は、ルー・リードの「Busload Of Faith」(『New York』収録)から。

原文には段落分けがなかったけれども、読みやすく分けてみました。
間違いがあるかもしれないけれど…そこはご容赦ください。よろしくです!