『言葉なき歌』

地震原発事故によって“何か”が大きく変わってしまった2011年。その“何か”は、近づいてみるには大きすぎる。距離を取って眺めようとしても、視線の先が定まらない。そんなもどかしさが募る1年でした。
その“何か”とは、結局「どう生きるのか?」という自分への問いかけのような気がします。
今までのように、個人的な目標を持って「今年はこうしたい!」と宣言する気持ちすら無邪気なことのように思える。これからは、もっと長いスパンで考えなくちゃならないのかも。5年後、10年後に自分たちの暮らしはどうなっているのかな?より良くするにはどうすればいい?僕が人生を終えたあとの子供や孫の世代には、何を残すことができる?
そこまで考えることも、決して極論ではないはず。でも「自分自身の暮らしもビミョーなのに、そんなのムリだよ!」って、僕の本心も言っている。
経済、環境、政治—僕たちの暮らしを取り巻く世界では、もうずっと前から警鐘が鳴らされていたことかもしれない。それが11年3月の災害と事故で、僕たちの日常までをも覆い尽くしたという皮肉。そして、事実。
iPodのプレイリストが1周したあとの静寂、家族が寝静まった部屋の闇、仕事の打ち合わせの帰り道、友達にメールを送ったあとの液晶画面…。そこに思いがけず、無力感以上の“無”がよぎることがある。言葉をなくしてしまう一瞬がある。けれども、そんな時、僕は一編の詩を思い返して心を落ち着かせる。中原中也の『言葉なき歌』といいます。

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄かに淡い


決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼のやうに遥かを見遣つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

「あれ」とは、一体何なのだろう?遠いところにある“何か”を見つけて、言葉を失ってしまっている。けれども、「待っていればよい」とも言う。『言葉なき歌』の“言葉”は続きます。

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない


さうすればそのうち喘ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた

数年前のちょうど今頃、僕は大切な人を亡くしました。新年のおめでたい気分の中でも、その時の気持ちが僕をつかんで離しません。生前の彼が最期に話した相手として、彼の『言葉なき歌』をうまく聴き取ることができなかったことを今でも悔やんでいます。だから、僕は彼に伝えられなかった言葉を今でもくり返します。その声を自分で聞きます。何度も。

けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

2011年から12年へ。そして、時は「煙突の煙のように」未来へと流れ続けます。「太くて繊弱」な「あれ」について考えることが日常になってしまった今、「正直、しんどい!」という人もいるかもしれない。けれども僕は、僕の言葉が届くかぎり伝えたいと思います。
「死ぬな!」と。

「待つ」ことは決して消極的なことではない。いま大事なのは「あれ」を見極めることではなく、その存在を認めながらも、まず「喘ぎを平静に復」すること。そうすれば「たしかにあすこまでゆけるに違ひない」。僕もそう思います。
2012.1.10. 犬飼一郎