『ボリス・ヴィアンと脱走兵の歌』

この『ボリス・ヴィアンと脱走兵の歌』は、もうずいぶん前に買っていたんだけど、なぜか放ったらかしにしていた。ようやく読み始めたきっかけは…レンタルで観直したミシェル・ゴンドリーの『ムード・インディゴ うたかたの日々』がやっぱり面白かったから、だっけ? とにかく、「そういえば、読んでないヴィアンの本が一冊あったはず…」って引っ張り出した次第。

ボリス・ヴィアンと脱走兵の歌

ボリス・ヴィアンと脱走兵の歌

手に取ったら、意外なほどあっさり読み終えた。時系列で追った2部構成で、その中のエピソード(タイトル付き)も各々5ページくらいにまとめられているから展開が早くて読みやすい。第1部では、1950年代のきな臭いフランスを背景にヴィアンの「脱走兵の歌」が成り立つ過程が描かれている。第2部ではヴィアンの死後、ベトナム戦争を経て世界中へ広がってゆく「歌」のその後と今が伝えられる。


ご多分にもれず、僕が最初にヴィアンと出会ったのも『うたかたの日々(日々の泡)』だった。誰かにすすめられたのか、雑誌の記事を読んだからなのかは覚えていないけれども、十代の後半に文庫本を読んでみた。で、意味も良さもさっぱりわからずに途中で挫折した。けれども、ヴィアンという人のことは気になって、早川書房から出ていた『ぼくはくたばりたくない』をすぐに買った。こっちは装丁もカッコ良くて、冒頭の「ぼくはくたばりたくない」の一編だけでめちゃくちゃ感動した。それ以来、ヴィアンは僕にとって大切な作家のひとりになった。


作家? そう、ヴィアンという人を誰かに紹介しようと思ったら、たぶんそれだけじゃ足りないんだろうな。
■ジャズ・ミュージシャン(トランぺッター)
■レコードや音楽雑誌にたくさん寄稿した音楽ライター/音楽評論家
■エッセイスト
レイモンド・チャンドラーを初めてフランス語で出版した翻訳家
■物議を醸すハードボイルド作家(別名ヴァーノン・サリヴァン
■レコード会社勤務の音楽プロデューサー
シャンソンの作詞家兼作曲家
■シンガーソングライター
■詩人 


多才といえば、確かにそう。でも、たった34年という短い人生の中で、本当にこんなにたくさんの役割を果たすことができたのかな? 若い頃の僕は、そんなヴィアンに憧れていた。音楽と言葉と…(ヴィアンが言っているように)かわいい女の子以外に必要なものはないってね! 何度目かの挑戦でようやく『うたかたの日々』を読み終えたとき、物語そのものの切なさよりもヴィアン自身のイマジネーションが切なく胸に残った。その想像力がまったくの虚構ではなく、現実の彼の裏返しだと感じたから。アメリカに行ったことがないくせに『うたかたの日々』の最後では、“メンフィスにて”とか“ダヴンポートにて”なんてクレジットを残す周到さ。とかね。


この『ボリス・ヴィアンと脱走兵の歌』は、冒頭の作者の言葉が印象的だ。

「始めに断っておかなければならないが、このシャンソンボリス・ヴィアンの最良の作品ではない。この歌より優れた歌は他にいくらでもある。」


それでも、作者であるマルク・デュフォーは「脱走兵の歌」だけを取り上げ、入念なリサーチと(ヴィアンほど“架空”ではないにせよ)豊かなイマジネーションを駆使して「歌」の成り立ちから当時のヴィアンの生活までもを克明に描いてゆく。「平和や自由が様々な時代の中で、どんなふうに求められてきたのか?」よりも、ヴィアン自身が「何を望んでいたのか、何を望まなかったのか?」がそもそもの出発点であることが重要だ。「脱走兵」が求めているのは、60年代のラヴ&ピースなどではなく、ビート・ジェネレーションの(体制に背を向ける/歯向かう)姿勢に近い。


「歌」はその可塑性ゆえにカヴァーされ、改編され、レコーディングされ、リミックスされ、コピーされ、ダウンロードされ、歌い継がれてゆく。自由だの平和だのとぶち上げ、しかも“名曲”のラベルが貼り付けられさえすれば、「歌」の生命は永遠かもしれない。確かにそれも大事だけれど、ある意味で分かりきったことだ。


けれども「脱走兵の歌」の歌の誕生はあまりにも孤独で、世に出るまでもかなりショボい。生活の糧と自身の健康状態に翻弄されながら、「仕方なく色んなことに手を出した」ことがヴィアンの肩書きの多さに直結しているとも言える。


誰も歌ってくれなかった「脱走兵の歌」を最初に歌ったのはヴィアン自身だった。「脱走兵の歌」は当時のシャンソン界の人気歌手、ムルージによって歌われることになった。ただし、歌詞は変えられ、歌の持つ真意はねじ曲げられた。そして、オリジナル・ヴァージョンの「脱走兵の歌」を最初に歌ったのは、ヴィアン自身だった。


そのステージが決して聴衆にもメディアにも、(たったひとりを除いては)ほとんど好意的に受け入れられなかったというエピソードが僕は好きだ。60年代初期のニュー・ヨーク、グリニッジ・ヴィレッジのライヴ・ハウスでデイヴ・ヴァン・ロンクのライヴのあとに若き日のボブ・ディランが控えていたように、50年代のパリでしらけたシャンソンのステージを見つめるひとりの若者がいた。彼はこんな言葉を残している。

「ぼくはヴィアンを腹一杯堪能した。彼は青白い口からウルトラモダンな音楽に乗せて仰天するような歌詞を吐きだしていた。ステージ上の彼は幻覚をおこさせるような肉体的様相を呈し、病的な感じだった。彼はストレスを溜め、危険で、辛辣だった。(中略)それを見て、ぼくは思った―〈シャンソンも、そんなに捨てたもんじゃないな。シャンソンでも、多分何かできるんじゃないかな〉」

セルジュ・ゲンスブールは、ヴィアンのステージに通い詰め、心を奪われたと回想している。音楽、歌、そして(何よりも)スピリット。それは、こんなふうに引き継がれていくのかもしれない。いつも焦り、いらだち、妥協し、最後には仕方なく自分でやる。こんがらがったDo It Yourself。病弱な脱走兵。ボリス・ヴィアンはやっぱりパンクだった。


*「うたかた」と「泡」は読み比べるのも楽しい!

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

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日々の泡 (新潮文庫)

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*「脱走兵の歌」はこの中に。音楽レビューやエッセイも充実。


*ヴィアンによる音楽レビューの決定版!

ボリス・ヴィアンのジャズ入門(単行本)

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*ありがとう、ミシェル・ゴンドリー

《おまけ》「ミシェル・ゴンドリーの世界一周展」(東京都現代美術館)で展示されていたクロエの肺に咲いた睡蓮