ピーター・フック師匠と僕たち

このたびの東北地方太平洋沖地震により被災された皆様へ、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。
僕が住む千葉県でも、余震が続いています。近くの浦安市の被害を目の当たりにして言葉もありません。正直に言って、まだ全然落ち着きませんが、日本全国のみんながそうだと思います。繰り返される震災の報道、食料/飲み水/ガソリンの買い占め、原発に関するあれこれ等々。しんどいこと、文句を言いたいことも山ほどありますが、それはグッとこらえます。いま僕にできることを考える。
まずは家族や仕事の仲間、大切な誰かを少しでもホッとさせること。僕はブログを再開します。気分転換に楽しんでもらえたらと思います。今回の地震では多くのライヴやイベントが中止/延期になりました。仕方ないです。できる時にみんな元気に集まりましょう!
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僕が楽しみにしていた18日の『FAC51 The Haçienda』も中止になりました。そんなことをクヨクヨ考えてもイカンので、イベントの主役といえるフッキーことピーター・フック師匠のあれこれをお伝えします。フッキーのことを考えると元気が出ます(フッキーって、日本じゃ吹石一恵さんのことらしいっすね)。

フッキーことPeter Hook師匠は言わずもがなJoy DivisionNew Orderのメンバーとして英ロック界に君臨するベースの王様です。一見ひ弱そうな輩が多いポスト・パンク〜ニュー・ウェーヴ期のミュージシャンの中でも、ヒゲ面&長髪(たまに坊主頭)&皮パンでキメる男。ベースのストラップはいつも長めで、膝くらいに構えてます。本人曰く「ベースはチンコより下」が基本だそうです。盟友であるバーニーことバーナード・サムナーがストラトセミアコを胸のあたりで弾きまくる姿と対照的すぎて笑えます。そして何よりもその独特のサウンドがカッコいい!曲の中心になるくらいメロディアスで哀愁漂うベース・ライン、ぶっといサウンド。基本のベース・ラインはシンセで鳴らす、実は演奏が上手くない、クラウト・ロックの影響、野放図な人格、いい機材を買う金がなかった等、そのベース・サウンドの由来は様々ですが、星の数ほどいるベーシストの中でも数少ない“オリジナル”だと思います。ワンパターンですが、フッキーのベースは発明です。
NOの「The Perfect Kiss」をどうぞ!このPVの監督は、ヒツジたちが沈黙する前のジョナサン・デミです。

カッコいい!バーニーが赤面しながらカウベル叩くとか、8分あたりでイアン・カーティスのお化けが出るとか最高すぎます。JD〜NOでのフッキー師匠の活躍はさんざん語り尽くされてきたので、このくらいにしておきます。ご存知のとおり、現在NOはメンバー間のいざこざにより活動停止中。一部で報道されたような“解散”ではないことを祈ります。いざこざは今に始まったことではなく、90年代初頭にも深刻化しました。その時はバーニーがex.THE SMITHSジョニー・マーとELECTRONICを結成して、91年にPET SHOP BOYSの2人と1stアルバムをリリースしています。ユニット名がクールなスーパーグループ。フッキーはというと、地元マンチェスターのチンピラ衆を集めてREVENGE(復讐)という名のバンドを結成。90年に『One True Passion』を発表しました。ジャケットデザイン相撲では、REVENGEできたかな。アートワークはPeter Saville(Trevor Key)でした。
ではREVENGEの「Pine Apple Face」をどうぞ!

「Pine Apple Face」ってナニ??他にも「Jesus I Love You」とか「Surf Nazi」とか心配なタイトルの曲がいっぱいです。今なら中古屋で200円くらいで売ってます!すでに歴史的事実として語られているとおり、90〜91年は名作がいっぱいリリースされた年でした。90年にはライド『Nowhere』、ラーズ『The La's』とか。91年にはマイブラLoveless』、ピクシーズ『Trompe le Monde』、プライマル・スクリーム『Screamadelica』、ティーンエイジ・ファンクラブ『Bandwagonesque』とか。そんな中でのマンチェ番長の一発がコレでした。さらにフッキー師匠はREVENGEとして来日!僕はそのライヴに行きましたよ。
追憶のクラブチッタ川崎。会場はお世辞にも満員とは言えず。同じ頃に見たマイブラやプライマル・チームはハンパなかったですからね。こっちはガラガラと言っても過言ではないでしょう。ライヴはアルバムの曲を惜しげもなく披露…。当たり前か。アンコールでNOの「Dreams Never End」をやった時がいちばん盛り上がりました。良いんです、これで。この日の僕には「ライヴを楽しむ」以外に、もうひとつ大事な目的がありました。
それは、フッキーにデモテープを渡すことです。それまでにも海外のレーベル(Factory、Mute、Creation、Fiction、Go!Discsなど)にデモを送り付ける、ウィルコ・ジョンソンの楽屋に突入して殴られる、国内の某インディレーベルのイベントに出演してキレて帰る等のバンド活動をしていた僕たち。この時は「せっかくならばフッキーに」と思い立ちました。完全オリジナル主義だったのですが、急遽「Ceremony」のカバーを録音。コピーではないです。なぜなら歌詞カードがなかったので、歌詞は英語で僕が作詞したから。バンドのオリジナルアレンジを加えたから。英語で作っていたオリジナルも加えて2曲のデモを完成させました。では「Ceremony」をRadioheadヴァージョンでどうぞ。僕たちの方が先だけどな!

舞台は再びクラブチッタ川崎へ。なにやったかほとんど記憶にない本編終了後にその瞬間は訪れました。僕は余裕で陣取っていた最前列からステージにデモテープを投入!重要な任務を課されたデモテープは、ステージを去り際のフッキーの足元に着地。プレゼントだと勘違いしたのでしょうか。フッキーはそれを拾い上げると、高々と天に向けて腕を伸ばしていました。「確かに受け取ったぞ!」という感じ。目立つようにアルミホイルで包み、危険物と誤解されないように“This is our DEMO TAPE, Please Listen!”と書いておいたのが、功を奏したみたいです。僕はホント、めちゃくちゃうれしくって、一緒に見に行ったバンドの仲間と抱き合って喜びました。フッキー、最高!

それからしばらく、僕たちはマンチェバンドの仲間入り気分を味わいました。ローゼズの次は俺たちだ!と。フッキーのプロデュースで「Elephant Stone」を超える!と。でも1ヶ月もすると、僕たちも周りのみんなもそのことを忘れ始めていました。何しろ、カッコいいアルバムがどんどんリリースされるので。そんなある日、帰宅すると母が「変な外人から変な手紙来てたよ」と言う。「なんのこっちゃい」とその手紙を受け取ると…出ました!フッキー!消印はもちろんMANCHESTER!日付は13.2.91.です。実は2月13日はフッキーの誕生日でもあるのです。機嫌が良かったのかな。

住所書いといて良かった〜。フッキーが所有するSuite16というレコーディングスタジオのオリジナル便箋に“ Dear ICHIRO! ”で始まる文面。フッキーは、ちゃんと聞いてくれたみたいです。曲の感想とハッピー・マンデーズのマネージャーでファクトリーのA&Rマン、Phil Saxにデモを託したこと等が書かれていました。僕はホント、めちゃくちゃうれしくって、もう一度バンドの仲間と抱き合って喜びました。フッキー、最高!俺たち最高!

あれから20年。いろいろあったけど、僕も仲間も未だに音楽を中心に生きています。つらい時はこのことを思い出す。バンドの仲間と「やったぜ!」と盛り上がったこと。バンド以外の友達も自分のことのように喜んでくれたこと。そして、それが今も続いているということは奇跡なんかじゃない。
ありがとう、フッキー!僕たちは、日本は今、最悪にピンチです。でも、Joy DivisionだってNew Orderになって復活したしね。いつも僕たちの周りには素敵な音楽がある。音楽を聴けない時にも、僕たちには誰かがいてくれる。だから、頑張らなくちゃって思える。今はそう思うようにします。

またすぐに日本中でLIVEが楽しめますように!LIVE=“生きる”のだ。