『ダンス・ドラッグ・ロックンロール』を読んで


ライター/カメラマンであるクボケンさんこと久保憲司さんのトーク・イベントに行ってきました。クボケンさんの新刊『ダンス・ドラッグ・ロックンロール 誰も知らなかった音楽史』の発売記念。会場は渋谷のLo-Piという落ち着いた雰囲気のおしゃれなバー。進行役は『ダンス・ドラッグ・ロックンロール』を監修されていた鈴木喜之さんでした。

もともと『ダンス・ドラッグ・ロックンロール』は、この会場でのシリーズ企画として開催されている“Kenji's Rock Bar”でのトークをまとめたもの。Lo-Piの店内を見渡しながら、和やかな空気にクボケンさんの人柄が出ているのかな、と思ったり。ここ1〜2週間、何度も読み返したこの本がここから生まれたんだな、と感慨もひとしお。

『ダンス・ドラッグ・ロックンロール』は、よくあるロック・ヒストリー本とは視点がまったく違う。「あのアルバムは名盤!」「このエピソードは伝説!」みたいな手垢だらけの文章はひとつも出て来ない。タイトルにもずばり掲げられているとおり“ドラッグ”にまつわる話がほとんどだ。すべて、と言っていい。秀逸なタイトルでしょ。「ダンス」と「ロックンロール」の間に「ドラッグ」が挟まっている。ここが大事!

この本で語られているのは、ドラッグにまつわる武勇伝などではなく、50〜60年代から連綿と受け継がれているロックンロールはもちろん、ダンス・ミュージック、そしてヒップホップの歴史そのもの。(今まで、特に日本では語られて来なかったけれども)いつの時代もユース・カルチャーは、ドラッグと切り離すことはできなかったという事実。音楽シーン(カルチャー全体と言い換えても良い)が移り変わる瞬間にドラッグが果たしてきた役割は、日本に暮らす僕たちが想像するよりも遥かに大きい。この本を開くと、クボケンさんが目にして来た事実が活き活きとよみがえってくる。パンク、レイヴからダブステップまで、新たなシーンの誕生と衰退。ストーン・ローゼズニルヴァーナが駆け抜けたあの頃の空気。そして、どの時代にもいた追い込まれた若者たち。ドラッグの効き目は長くは続かない。音楽は鳴り止んでしまう。そして、誰もが大人になり、何人かは命を落とす。

個人的には、フラワード・アップがかなりのページ数で紹介されていたことが嬉しかった。そして、それが『ダンス・ドラッグ・ロックンロール』の本質だと思う。マンチェ世代ど真ん中の僕にとって、フラワード・アップは忘れられないバンドのひとつ。メロディーをなぞらないリアム・メイハーのヴォーカルはラップとも違っていて、かなり衝撃だった。たった1枚のアルバム『A Life With Brian』とその後にリリースされたEP「Weekender」だけを残してシーンからは消えてしまったけれど、当時はシャーラタンズよりも好きだった。本物のチンピラっぽさは充分伝わっていたよ。クボケンさんが本書で言及しているとおり、「Weekender」のPVで描かれている世界は、いつの時代の若者でも切実なものだと思う。
欧米ほどドラッグが身近ではない日本のユース・カルチャーが、幸せなのか不幸せなのか僕にはわからないけれど。

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