サーストン・ムーア『Demolished Thoughts』を聞きながら。

 90年代初頭、深夜のファミレス。僕はバンド仲間と一緒に数杯のコーヒーと1枚のピザだけで、何時間も席を立たずに時間をつぶしていた。もうすぐ夜が明ける。正確に言うと、時間をつぶしていたんじゃない。4人の手持ちの金を合わせても、支払いに足りなかっただけだ。不足金額は、たったの80円。もう話すこともない。こんなことでレジを突破するのも馬鹿馬鹿しい。誰か一人がクルマに乗って、家まで80円を取りに帰るのも面倒だ。どうする?どうでもいいんだけど。その時だ。僕が初めてニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」を聞いたのは。店内の有線から、あの印象的なギター・リフが聞こえてきた。「このバンド、知ってる?」「ニルバナとかって言うらしいよ」「メタル?」「違うでしょ、たぶん」「カッコいいな」
 お粗末なスピーカーから、小さなボリュームで鳴っているその曲を僕たちはテーブルに突っ伏しながら聞いていた。曲が終わると、一人が立ち上がった。クルマで金を取ってくると言う。残された3人は無言で彼を見送った。
 数分後、クルマで金を取りに行くはずの仲間が戻ってきた。家までの往復には少なくとも30分以上かかると思っていたから、意外だった。どうせまた、アクシデント大発生だろ。クルマが壊れたとか。チンピラにからまれたとか。「足りなかったのは80円だよな?」「うん」「あったよ、ダッシュボードに100円玉が」この煙草を吸い終わったら、ここを出よう。小さな幸運に感謝、するわけがない。カートに“Hello, Hello, How Low?” って聞かれていたことに、その時はまだ気付いていなかった。ようやく僕たちが『デイドリーム・ネイション』でソニック・ユースを発見し、『Goo』のリリースに心を躍らせていた頃。帰りのクルマの中では、どちらかのアルバムが鳴っていたはずだ。それとも、ピクシーズだったかもしれない。
 その数年後、カートは自分の頭をショットガンで撃ち抜いた。ピクシーズは消え失せた。時を同じくして、ひとりのガキが現れた。「俺は負け犬、どうして俺を殺さないんだ?」顔に似合わないブルース声を持つ痩せた白人のガキ。それがベックだった。誰も『Stereopathetic Soul Manure』のことなんて知らなかったし、『Mellow Gold』も「悪くはないな」という程度の認識だった。『Odeley』を聞くまでは、そのポテンシャルの高さに気付かなかった、僕もそのひとりだ。

 サーストン・ムーアにとって4年ぶりのソロ3作目となる『Demolished Thoughts』を聞きながら、僕はそんなことを思い出した。ソニック・ユースニルヴァーナは“グランジ”で、ベックやペイヴメントは“ロウ・ファイ”だとか。2011年の今から見て、ここまで言葉の意味が形骸化している『音楽ジャンル』も他にはないだろうと思えて、笑える。ソニック・ユースもベックも、そしてニルヴァーナも登場時(または注目を集め始めた時)のインパクトよりも、結局は音楽の力が勝っていた。それだけのことだ。20年前には想像もしなかったコラボレーションも、今なら何の疑問もない。相変わらずの変則チューニングと『Sea Change』を彷彿とさせる静謐。純朴たるSSWを装いながらも、歪なコード感が心に小さな波を立てる。ストリートの情景に宗教的モチーフ(祈り/光/天使/神々)が重なり合う描写は、スコセッシやジャームッシュのようだ。モノクロームに焼き付けられたアコースティックの響き。

 “覆された思い”というタイトルは、イアン・マッケイの弟が在籍していたワシントンD.C.のハードコア・バンド The Faithの曲から拝借したもの。中ジャケにちゃんとクレジットされている。
サ:「兄弟でハードコアっていいなぁ」
ベ:「気合い入ってるよね。いただきます」
 ふたりはそう思ったのかも。僕もそう思う。サーストンはベックに、ベックはサーストンに“覆され”ながらレコーディングしたのかな。マイナー・スレットがピンときて、フー・ファイターズのアルバムを1枚も聞いたことがない僕には、しっくりくる作品。要するにそういうこと。