『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』を見て

先日、ジャクソン・ポロック展に行ってきました。
僕がジャクソン・ポロックを知ったのは、やっぱりストーン・ローゼズのおかげ。1stアルバムのジャケットでパクられて、「Going Down」で歌われて。12inchシングルまでも見事にポロック魂を貫いたジョン・スクワイア画伯にグッときました。祝、再結成!あと、マニが使っていたリッケンバッカーのベースもね。「サリー・シナモン」の無断リリースに怒って、4人がFMリヴォルバーに突撃したときは、自分たちがポロックの絵みたいになってたし。

愛知の会場では、そんなマンチェっ子が大喜びするような併設展『ヒストリー・オブ・ザ・ストーン・ローゼズ』が行われていたなんて最高。でも…東京にはなかった!
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Stone Roses: 20th Anniversary Remastered Edition

Stone Roses: 20th Anniversary Remastered Edition

ジャクソン・ポロック生誕100年の回顧展ということで、有名なアクション・ペインティングの作品はもちろん、彼の初期から晩年の作品までを一挙に見ることができる。唯一の残念は、ローゼズに歌われた『No.5』が展示されていないこと。『No.5』は2006年に165億円(!!!)という史上最高額で、あのデヴィッド・ゲフィンが落札。現在はプライベート・コレクション扱いとのこと。
僕は大きな展覧会のときは自画像に注目する。何歳のときに描かれたのか、どんな色彩やタッチで描かれているのか。その1枚で作家本人の心情が垣間見れると思うから。ポロックの自画像は彼が20歳頃に描いたもの。キャンバスの端っこが見える(塗られていない)独特のレイアウトで、中央に影のように青年の顔が浮かび上がっている。頬が痩せこけて、干し首みたい。不意に開いた大きな目が僕の視線と合う。ポロック自身が一生付き合うことになる深淵なる闇の始まり、と思うのは結果論かな。
けれども、彼の代名詞と言えるポーリング技法を用いたオールオーヴァーで成熟期を迎え、ブラック・ポーリングと呼ばれる晩年(交通事故という急死でこの世を去ったポロックにこの言葉はふさわしくないかもしれないが)まで、色彩は豊かであっても、決してそれが「鮮やかな」とは形容しがたい作風で一貫されている。評価が芳しくなかったブラック・ポーリング期には、文字通り「黒」に回帰しているし。そこに何を見るか、だと思った。
オールオーヴァーは上下も、具象も、モチーフも排した絵画でありながら、誰が見てもポロックだと「わかる」ことが逆説的。重力と偶然を味方に付けて、どこまでも自由に描ける。自由に解釈できる。…はずが、作品そのものがレッテルとなる。誰にでも「わかる」と思わせる。結局、それが彼自身を追い込んで行ったのかもしれない。
「偶然」から生まれる調和と混沌、必然とも言えるポロック自身の作家としての運命。アクション・ペインティング/オールオーヴァーという大胆な作風とは裏腹な、繊細な意識に少しでも触れることができたかな。僕はもう一度、見にいくつもり。ポロックのこんな言葉を見つけた。

何かを探すべきではないと思います。そうではなくて、受身的に見ることです—そして、その絵画が差し出すべく持っているものを受け取ろうとし、主題の問題や探すことになるものについての先入観を持ち込まないようにすることです。

会場で購入した『JACKSON POLLOCK A CENTENNIAL RETROSPECTIVE』より
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THE STONE ROSES「Going Down」
Yeah, She looks like a painting
Jackson Pollock's Number 5
Come into the forest and taste the trees
The sun starts shining and I'm hard to please
Ring a ding ding ding
I'm going down I'm coming around...